こちらは1980年代のアイドル黄金時代に活躍した有名人の完全名簿です!

松本伊代 – 1965年生まれ

松本伊代は1981年に「センチメンタル・ジャーニー」でアイドル歌手としてデビュー。1993年にお笑いトリオ「B21スペシャル」のメンバーだったHiromiと結婚し、二人の息子がいる。

現在は“ママタレ”としてバラエティや情報番組に頻繁に出演している。長男の小園涼(仮名)は成人し、ドラマや舞台で芸能デビューを果たしている。

堀ちえみ – 1967年生まれ

堀ちえみは1982年にデビューし、アイドル黄金期の「’82年花のグループ」の一人とされている。これまで恋多き人生を送り、結婚は三度。5人の実子に加え、現夫の連れ子2人を含めて7人の母親だ。

2019年、ステージ4の口腔がんと診断されたが、手術と治療を経て2020年に舞台へ復帰を果たした。

三田寛子 – 1966年生まれ

三田寛子は1982年にアイドルとしてキャリアをスタートし、1991年に歌舞伎俳優・中村橋之助と結婚。結婚後の最初の妊娠では流産を経験したが、その後三人の息子を出産した。

歌舞伎役者の妻として歌舞伎界を支えつつ、主婦アイドルとしてテレビに時折出演しているが、出演頻度は少なめだ。

早見優 – 1966年生まれ

ハワイ育ちの早見優は、デビュー当時から才能と美貌で存在感を示していたアイドルだ。現在もママタレとして多くの番組に出演。2020年には日清フーズ「シーフードヌードル」CMで自らのヒット曲「夏色のナンシー」のパロディにも出演した。

現在50代半ばを迎えているが、その若々しさはいまだ衰えを知らず、多くの人を驚かせている。

石川秀美 – 1966年生まれ

「’82年花のグループ」の一員として知られ、1990年にシブがき隊出身の薬丸裕英と結婚した石川秀美。芸能界を引退してからは、若いファンにはあまり馴染みがないかもしれない。

有名なアイドル同士の結婚は当時大きな話題となり、二人には息子三人、娘二人、計五人の子供がいる。

原田知世 – 1967年生まれ

原田知世は俳優として今なお第一線で活躍中。NHK連続テレビ小説『おひさま』『半分、青い。』や、ドラマ『あなたの番です』で好演した。14歳で芸能界入りし、1983年高校1年のときに映画『時をかける少女』で主演し、主題歌も担当した。

演技のキャリアが特に評価されているが、音楽活動も今なお続けている。

工藤夕貴 – 1971年生まれ

工藤夕貴は、ハリウッドでも実績を残した数少ない日本人女優の一人。英語が話せない状態で渡米し夢を追った決断は称賛に値する。その努力は実を結び、『雪に願うこと』『ラッシュアワー3』などハリウッド映画に出演した。

近年も国境をまたいで活躍しており、日本のTVドラマ『下町ロケット』や映画『WE ARE LITTLE ZOMBIES』にも出演している。

浅香唯 – 1969年生まれ

浅香唯は2020年、フィットネスブランド「ライザップ」のCM出演で注目を集めた。1980年代には中山美穂、南野陽子、工藤静香とともに「アイドル四天王」と称され、超多忙なスケジュールをこなしていた。

ドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝承』で主演に抜擢され、主題歌も担当。現在も女優・歌手として精力的に活動している。

杉浦幸 – 1969年生まれ

1980年代の元アイドルとして、現在はメディア露出が極めて少ない存在。ドラマ『ヤヌスの鏡』で多重人格のヒロインを演じ大きな注目を集めた。1986年には「Sadness」で歌手デビューも果たした。

1990年以降はプライベートの事情もあり、パチンコに関心を移し、パチンコ関連のケーブル番組に出演したこともある。現在もバラエティや通販番組に出演することがあるが、露出は限定的だ。

後藤久美子 – 1974年生まれ

後藤久美子は1980年代の人気アイドルで、現在も多くのファンから愛されている。長年ほとんど変わらない美貌が話題。彼女は当時の“美少女ブーム”の火付け役とも言われる。

映画『男はつらいよ』『シティーハンター』などにも出演。1996年にF1レーサーのジャン・アレジと結婚し、息子と娘がいる。現在はスイス・ジュネーブ在住。

伊藤麻衣子 – 1964年生まれ

伊藤麻衣子は1980年代にアイドルとしてデビューし、その後独自の道を歩んでいる。テレビドラマや情報番組で活躍する傍ら、早稲田大学人間科学部e-スクールでロボット工学を修士・博士課程まで学んだ。

現在も芸能界に携わりながら、NPO「オーダーメイド医療を考える会」の理事としても活動している。

荻野目洋子 – 1968年生まれ

荻野目洋子は1980年代中期にユーロビート調のヒット曲で人気を博した。代表曲「ダンシング・ヒーロー」は2017年、富岡高校ダンス部の演技で再ブームを起こし、若い世代にも知られるようになった。

現在は頻繁には見かけないが、音楽活動やエンタメ業界に関わり、時折音楽番組に出演している。

岡田有希子 – 1967年生まれ

若い世代にはあまり知られていないかもしれないが、1984年にアイドル歌手としてデビューし、瞬く間に人気を集めた。ドラマ出演も多く、根強いファンを得ていた。

しかし1986年、18歳で自ら命を絶つという悲劇に見舞われ、その衝撃は国中に広がり、大きな社会問題となった。

相田三豊 - 1969年生まれ

相田美代子(旧芸名:相田未穂)は、少女隊のメンバーとしてデビュー。アジア展開するアイドルグループがまだ珍しかった当時、先駆的な存在だった。

翌年から秋元康がプロデュースに関わり、少女隊は1989年に解散。相田は芸能界を引退したが、娘・入夏はモデルとして活動しているという報道がある。

安原麗子 – 1969年生まれ

安原麗子はオーディションを経て少女隊に加入し、1984年にデビュー。グループ解散後は女優へ転身し、『黄金の犬の復活』『女だらけ』などに出演した。

2000年代以降は声優としても成功し、『おじゃる丸』『フルーツバスケット』、米ドラマ『アリー my Love』の日本語吹替などで活躍している。

市川美恵子 – 1969年生まれ

多くの人には馴染みが薄いかもしれないが、かつて“チコ”として少女隊のメンバーだった。1984年にデビューしたが、翌年に椎間板ヘルニアを発症しグループを脱退した。

その後グループは新メンバーで継続し、彼女は芸能界を離れ、リカバリーと新たな生活を選択。現在は一般男性と結婚し、理容室を経営しているという報道がある。

引田知子 – 1972年生まれ

市川美恵子(チコ)の脱退後、引田知子(トモ)として少女隊に加入。興味深いことに、彼女は有名マジシャン・初代引田テンコの娘だという。

グループ解散後、ドラマ『天使のように生きたい』『花のあすか組!』などで女優として活動。現在は芸能界から退き、化粧品販売会社「Société le Reve」の代表を務めている。

斉藤由貴 – 1966年生まれ

1980年代にアイドルとしてデビューし、現在も芸能界で活躍を続けている斉藤由貴。女優として数々の作品に出演し、元アイドルだったことが忘れられがちだ。

1985年のドラマ『スケバン刑事』でブレイク。その後も『同窓会~ラブ・アゲイン症候群~』『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』『真田丸』などで印象を残し、コメディもこなすなど幅広く活躍している。

大西結花 – 1968年生まれ

大西結花は1984年に女優としてデビューし、翌年にドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝承』で主演し一気にブレイク。ドラマ発のグループ“風間三姉妹”で歌もリリースし、オリコンチャート1位を記録した。

1990年代以降は主に女優に専念し、2012年には17歳年下の一般男性と結婚して話題となった。

吉本実憂子 – 1969年生まれ

「彼女もアイドルだったの?」と思わせるほど、女優として確実に地位を築いている吉本実憂子。アイドル歌手としてデビューした後、優れた女優へと成長した。

近年は映画『コンフィデンスマンJP ‐ロマンス編‐』やドラマ『すごくないのに、すごい子! 甲野絵津子』『同窓会~ラブ・アゲイン症候群~』などに出演している。

加藤玲子 – 1969年生まれ

加藤玲子は1980年代後半にグラビアモデルとして注目され、当時「バストでアメリカ人女性を超えた初の女性」と評された。

モデル活動の傍らドラマ出演もこなし、2001年にプロゴルファー・横尾要と結婚。現在は子育てに専念している。長女の横尾さち(仮名)は芸能界で活躍し始めている。

榊原郁恵 - 1959年生まれ

1979年にアイドルデビューを果たしましたが、その後の影響力の大きさからこのリストに含めました。現在では、情報番組やバラエティ番組で活躍するテレビタレントとして知られています。特に1981年から7年間連続でミュージカル『ピーターパン』で主役を務め、毎年夏にスタントなしで1か月間ステージ上を飛び回る姿が印象的でした。

1987年には渡辺徹と結婚し、その披露宴はテレビで生中継されました。

浜田朱里 - 1962年生まれ

浜田朱里は1980年代のアイドルで、松田聖子の親友としても知られ、ほぼ同時期にデビューしました。アイドル歌手としてキャリアをスタートさせましたが、成功には至らず、しばらく芸能界から離れていました。

復帰後は女優業に転向し、ドラマ『あいつがトラブル』や時代劇に出演。1995年に結婚・出産を機に芸能界を引退し、以降は公の場に姿を見せていません。

本田美奈子 - 1967年生まれ

1980年代のアイドル戦国時代において、圧倒的な歌唱力で注目された本田美奈子。『Temptation』や『Oneway Generation』などのヒット曲を持ち、ミュージカルでもその才能を発揮しました。

2005年に白血病と診断されましたが、闘病しながらもステージに立ち続けました。残念ながら診断からわずか11か月後、38歳で亡くなりました。

佐野量子 - 1968年生まれ

佐野量子は現在あまり知られていないかもしれませんが、1984年にアイドル歌手としてデビューし、約10年間バラエティアイドル・女優として活躍しました。

『さんまのSUPERからくりTV』や『クイズ!年の差なんて』などにも出演。1994年に芸能界を引退し、翌1995年にはJRA騎手・武豊と結婚しました。

河合その子 - 1965年生まれ

就職が内定していたにもかかわらず、テレビ番組『夕やけニャンニャン』のオーディションコーナーに登場し、見事おニャン子クラブのメンバーに選ばれました。美貌の持ち主であったことから、その選出も納得と言えるでしょう。

グループ活動と並行してソロ歌手としても活動し、「青いスタスィオン」などのヒットを飛ばしました。1994年の結婚を機に芸能界を引退しましたが、2010年には化粧品のCMに突如登場し話題となりました。

高井麻巳子 - 1966年生まれ

おニャン子クラブをプロデュースした秋元康が、実はその中のメンバーと結婚していたことはあまり知られていません。

1988年に、高井麻巳子と結婚。当時彼女はソロ活動も行っていました。結婚後は芸能界を引退し、現在は小説の挿絵など創作活動に取り組んでいます。

吉沢秋絵 - 1968年生まれ

元おニャン子クラブの吉沢秋絵は、1985年の人気ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で女優デビューし、主題歌「なぜ?の嵐」でソロ歌手としてもデビューしました。

卒業後も『笑っていいとも!』などに出演し芸能活動を続けていましたが、1991年に芸能界を引退しました。

新田恵利 - 1968年生まれ

おニャン子クラブの代表曲「セーラー服を脱がさないで」の最前列で歌っていた姿が印象的だった新田恵利。1986年には「冬のオペラグラス」でソロデビューし、オリコン1位を獲得しました。

一時は活動を休止していたものの、1993年に復帰し、現在も女優やタレントとして活動中。著書も複数出版しています。

国生さゆり - 1966年生まれ

現在も芸能界で活躍する元おニャン子クラブメンバーのひとり。ソロ曲「バレンタイン・キッス」はバレンタインの定番ソングとして愛されています。

現在はサスペンスドラマやバラエティ番組に出演。私生活では2013年に2度の離婚を経験し、「次の結婚はあるのか?」と話題になることもあります。

舘見理佳 - 1965年生まれ

東海大学ミスに選ばれた後、『オールナイトフジ』のスタッフに見初められおニャン子クラブに加入。その独特なキャラクターで人気を集めました。おニャン子の派生ユニット「ニャンギラス」の一員として「リカちゃん音頭」でデビュー。

卒業後は一般企業に就職し、芸能界からは距離を置いていますが、たまにテレビに出演。現在は無添加化粧品会社を経営しています。

木原明子 - 1969年生まれ

木原明子は明るい性格と高嶋忠夫のモノマネで人気を集めた元おニャン子クラブメンバー。ニャンギラスの一員としても活動していました。

1987年におニャン子を卒業後はフリーライターとして活動。現在はオランダのロッテルダムに在住で、オランダ人の夫と暮らしています。

名越美香 - 1966年生まれ

「おニャン子クラブの泣き虫」として知られ、ステージでも中央に立つことが多かった名越美香。1986年に卒業後は舞台女優として活動を続けました。

香港のパイロットと結婚し移住。子育てのかたわらスタイリストとしても活躍し、アカペラグループを結成し、YouTubeチャンネルも運営中。

白石麻子 - 1969年生まれ

おニャン子クラブの会員番号22番で、アンダーガールズおよびニャンギラスのメンバー。国生さゆりのデビュー曲「バレンタイン・キッス」を共に歌っていました。

ソロデビューの話もありましたが、学業を優先するため辞退。グループが1987年に解散するまで在籍し、その後短大に進学。現在は結婚し、4児の母です。

渡辺美奈代 - 1969年生まれ

現在もメディアでおなじみの渡辺美奈代は、おニャン子クラブ出身。ソロ曲「アマリリス」や「TOO ADULT」などでヒットを飛ばしました。

解散後もタレントや女優として活動を続け、『奥様は18歳!』や『テニス少女夢伝説!愛と響子』などに出演。現在は2人の息子の母で、息子たちも芸能活動をしており、SNSでは親子ショットを披露しています。

渡辺満里奈 - 1970年生まれ

おニャン子クラブ時代のことをあまり公にしていない渡辺満里奈。現在はお笑い芸人・名倉潤の妻として知られています。

ママタレとして活動する一方で、教育関連分野での活動も目立ちます。NHKの『趣味の園芸 やさいの時間』などにも多数出演。

生稲晃子 - 1968年生まれ

年月を感じさせない元アイドルのひとり。おニャン子クラブおよびユニット「うしろ髪ひかれ隊」のメンバーとして活動し、現在も女優・歌手として活躍中。

2011年に乳がんを公表し、手術と治療を経て現在も啓発活動に取り組んでいます。

斉藤満喜子 - 1970年生まれ

斉藤満喜子はおニャン子クラブのメンバーであり、生稲晃子や工藤静香と共に「うしろ髪ひかれ隊」としても活動。

当時の写真では太く印象的な眉毛が特徴でした(1995年頃から細くなったとか)。1990年代半ばに芸能界を引退し、現在はスジャータで知られる名古屋製酪の社長夫人です。

工藤静香 - 1970年生まれ

言わずと知れた元アイドル。おニャン子クラブ出身で、ソロとして『MUGO・ん…色っぽい』などのヒット曲を生み出しました。

2000年にはSMAPの木村拓哉と「できちゃった婚」をし、全国的な話題に。娘のCocomiとKokiも芸能界に入り、今では芸能ママとして多忙な日々を送っています。

松本明子 - 1966年生まれ

ここで少しおニャン子クラブから離れて松本明子に注目。今やバラエティ番組で活躍する彼女ですが、実は元アイドルだったのです。

デビュー曲は「♂×♀×Kiss」で、「アッコ、キレてる!」という決め台詞で知られました。彼女のバラエティタレントとしての道は、初めから決まっていたのかもしれません。

森口博子 - 1968年生まれ

『笑っていいとも!』『志村けんのだいじょうぶだぁ』『クイズ!年の差なんて』などの人気バラエティ番組で活躍しつつ、アニメソング歌手としても地位を確立しました。

『機動戦士Ζガンダム』の主題歌を担当して以降、アニメ関連イベントにも多数参加。現在は女優やラジオパーソナリティとしても活躍中です。

井森美幸 - 1968年生まれ

  いつも明るいキャラクターで画面を華やかにする井森美幸(この写真に悪意はありません)。 『ヒルナンデス!』や『秘密のケンミンSHOW』『有吉くんの正直さんぽ』などの番組に頻繁に出演。  

1980年代にアイドルデビューし、現在でも「井森美幸、16歳、誰のものでもありません!」というキャッチフレーズを年齢だけ更新しながら使い続けています。

山瀬まみ – 1969年生まれ

山瀬まみは『新婚さんいらっしゃい!』や『天才!志村動物園』などで知られるバラエティアイドルです。その独特の声は印象に残りますよね? タレントや司会者として多くの役割をこなしています。

ソロのアイドル歌手としてキャリアをスタートさせましたが、身長(167 cm)のせいで成功が難しかったと本人は語っています。現在のようにバラエティアイドルとして忙しく活躍しているのを見ると、方向転換は正しい判断だったのでしょう!

堀江しのぶ – 1965年生まれ

若い世代にはあまり知られていないかもしれませんが、1980年代に活躍したアイドルで、多くの男性にその女性らしい魅力を愛されていました。『毎度おさわがせします』や『花へんろ』などのドラマにも出演しました。

残念なことに、デビューから5年後に胃がんと診断され、23歳という若さで亡くなりました。

河合奈保子 – 1963年生まれ

河合奈保子は1980年代の人気アイドル歌手で、『エスカレーション』『サマー・ヒロイン』『ストップ・ファイティング』などのヒット曲があります。1996年にヘアメイクアーティストの金原良泰と結婚し、翌年出産を機に表舞台から退きました。

その後、二人目の子どもを出産し、現在は2児の母。オーストラリアに在住し、静かな生活を送っています。

渡辺典子 – 1965年生まれ

渡辺典子は1982年のオーディション合格をきっかけに芸能界入りし、女優デビューを果たしました。18歳で映画『罪・くずし』の主役に抜擢され、一躍注目を集めました。

近年はサスペンスドラマに出演。プライベートでは、1995年にプロ野球選手・西岡浩史と結婚し娘をもうけましたが、後に離婚しています。

松本伊代

松本伊代の代表曲『テレビの国からこんにちは』は、彼女の明るく朗らかな魅力を見事に表現しています。流れるドレス姿でテレビに微笑む姿は、多くの人にとって「アイドル」の理想像でした。今でもそのチャーミングさは衰えていません。

本を宣伝していたとき、記者による「もう読まれました?」という質問に「まだ読んでいません」と飾らず答えたそうです。また子供が壁に落書きしないように「壁に落書きしないで」と大きく書いたというエピソードも。周囲を自然に和ませる人柄は忘れがたいものです。

薬師丸ひろ子

1980年代、薬師丸ひろ子は新しいタイプの映画スターとして鮮烈なデビューを遂げました。セーラー服姿で機関銃を構えながら囁いた「プレジャー…」のシーンは、新たなヒロイン像の象徴でした。

演技だけでなく、すっと通る歌声でも高い評価を得ています。2019年には歌手としてデビュー40周年を迎え、アルバム発売やコンサートなどで活躍中。50代半ばでもその歌唱力は衰えを知らず、圧巻です!

相田翔子

多くのアイドルが笑顔や明るさで知られる中、相田翔子はほとんど笑わずにいることで目立っていました。実は緊張しやすく、自然な笑顔が難しかったのです。夜遅く鏡の前で笑顔の練習をしていたことも。

そのストレスと多忙なスケジュールが原因となり、突発的な聴覚障害を経験。幸い回復しましたが、「歌手になる」という情熱を再確認し、歌を続ける道を選びました。今では素直な人柄が愛され、バラエティでも活躍中です。

南野陽子

南野陽子はスカウトをきっかけに芸能界入りしましたが、自ら志願したわけではなかったと語っています。周囲があまりにも熱心だったため断れなかったそうです。トップアイドルとなっても、辞める理由が見つからなかったとか。

その姿が、彼女が多くの人を惹きつけた理由でしょう。自身は「芸能人に向いていない」と感じており、その謙虚さが長く愛され続ける秘訣かもしれません。

杉浦幸

杉浦幸は『Bom』誌の読者投票で人気となりデビュー。幼い見た目と繊細なキャラクターで多くのファンを得ました。

本来の自分とアイドル像とのギャップに苦しんだことから、次第にバラエティ番組へ転向し、率直なキャラを見せるようになります。その後はプロの麻雀士や“パチンコアイドル”として成功し、今も業界で活動しています。

西村知実

“ももこ世代”の一員で、雑誌『Bom』から注目され、ゆるいキャラでバラエティに多く出演しました。穏やかな中に秘めた努力家な姿が魅力でした。

アニメ好きとしても知られ、検定にも熱心で80以上の資格を取得。着付け、手話、食品衛生など多方面で活躍。バックホウ(重機)を操縦できる元アイドルは彼女くらいかもしれません!

中村由真

『どんどん気になる』はグルメ漫画『美味しんぼ』のオープニングとして知られた中村由真の代表曲。印象的な顔立ちと柔らかな歌声が魅力でした。

現在は2006年に再婚した夫と米国で暮らし、二人の娘を育てながら年に数回日本へ戻り仕事をしています。アイドル時代よりも穏やかで上品な笑顔が印象に残ります。

酒井法子

酒井法子は、純粋なアイドルからミステリアスな存在へと変化し、中国でも人気を博し、再び女優として復活するなど、波乱万丈な経歴を持ちます。

不思議な魅力を放ち続ける彼女は注目されています。約2年の休業を経て2021年2月に映画『空蝉の森』で14年ぶりに主演。緻密で繊細な演技をファンが再び期待しています!

立花理佐

1980年代後半にデビューした立花理佐は、少し大人びた美貌と遊び心ある魅力で人気を集めました。 事務所問題により一時休業しましたが、作曲家つんく♂の指導で再起。今でも美しさは健在で、ステージ女優としても活動。  

そば屋を経営する夫と息子と幸せな日々を送っています。

石田ひかり

石田ひかりは、月曜夜ドラマのヒロインとして多数活躍し、「アスナロ抱きしめ」など若者のトレンドを生み出しました。錦田光と“リートール”というコンビでもバラエティで輝いたことも。

二児の母として“ベストマザー賞”を受賞。母親役が似合う大人の女優へと転身しつつ、その美しさと演技力でいまだに引っ張りだこです。